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ローマの歴史 : 帝政ローマ
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ローマは帝政期の初めに、イタリア各地に通じる街道の中枢となり、また広大な属州をもつ帝国の首都となっていた。ローマの町は無秩序な集合体で、上水道と下水設備をそなえていたが、貧民層がくらしていたスラムの共同住宅ではたびたび火災が発生した。アウグストゥス帝は警察権をもつ消防隊を組織したほか、夜間をのぞいて混雑した通りへの乗り物の進入を禁じ、建物の高さを制限した。それにもかかわらず、64年の大火事で市の中心部のほとんどが焼失した。当時の皇帝ネロは、これを絶好の機会とみてドムス・アウレア(黄金宮殿)を建設した。

帝政ローマ
ローマ競技場

ウェスパシアヌス帝と2人の息子の時代(69〜96)には、ローマの民衆の支持をえるため公共土木工事が実施された。もっとも有名なものはコロセウムで、大観衆に剣闘士の試合が提供され、模擬海戦が上演されることさえあった。この時代のローマには大規模な産業はほとんどなく、大量の人口をうけいれるだけのじゅうぶんな受け皿はなかった。そのため、共和政期にはじめられた食糧配給と娯楽の提供、いわゆる「パンとサーカス」の提供はこの時代にもつづけられた。コロセウムでの見世物のほか、競技場(→ 大競技場)では戦車競走が、豪華な劇場では無言劇が開催された。

2世紀初めのトラヤヌス帝のころには、巨大な浴場は都市生活にかかすことのできない施設となっており、中には図書館をそなえたものさえあった。
ローマ競技場. Foto E. Buchot
最大のものは3世紀にカラカラ帝とディオクレティアヌス帝によって建造された。ローマ帝国にはすでに外部からの危機がせまっていたため、3世紀を通じて市の周囲に城壁が建設された。しかし4世紀になると、コンスタンティヌス1世はコンスタンティノープル(現イスタンブール)に首都を移転、キリスト教徒の「新しいローマ」とした。このときローマは衰退しはじめていたが、コンスタンティヌス帝がはじめてキリスト教を公認したことから、サン・ピエトロ大聖堂(324年頃創建)をはじめ初期キリスト教のバシリカ式教会堂のおもなものが建設された。"ローマ" MicrosoftR EncartaR Online Encyclopedia 2008
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